東京地方裁判所 平成2年(ワ)8680号 判決 1991年12月24日
原告
青柳行雄
原告
野中來
右両名訴訟代理人弁護士
花岡康博
同
村松靖夫
被告
浅野工事株式会社
右代表者代表取締役
中島悌一
右訴訟代理人弁護士
馬場一廣
同
龍博
同
本郷亮
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求の趣旨
一被告は原告青柳に対し、金六五四万八四八三円及びこれに対する平成二年六月一日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。
二被告は原告野中に対し、金五四三万四七五〇円及びこれに対する平成二年七月一日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。
三訴訟費用は被告の負担とする。
四仮執行宣言
第二事案の概要
本件は、雇用契約を解約告知して被告会社を退職した原告らが、定年前に退職する社員に対する早期退職制度に基づく割増退職金の支払を求める事案である。
一争いのない事実
1 原告青柳は、昭和三七年四月一日から被告会社に雇用されていたが、平成二年四月(原告の主張では一八日、被告の主張では二五日)、被告に対して同年五月末日をもって雇用契約を解約する旨の意思表示をした。
2 原告野中は、昭和三六年三月一日から被告会社に雇用されていたが、平成二年四月一七日、被告に対して同年五月末日をもって雇用契約を解約する旨の意思表示をした。
3 原告らが退職した当時、被告会社には、社員の年齢構成を改善し、企業の活性化を図るため、早期退職制度が制定されていた。この制度は、割増退職金を支給するもので、「満四八歳以上五八歳未満の社員でこの制度による退職を希望し、会社が認めた者に適用する」こととなっていた。そして、この制度が原告青柳に適用されれば、その年齢及び勤続年数から割増金は通常の退職金の九〇パーセントである六五四万八四八三円となり、原告野中に適用されれば、同じく割増金は通常の退職金の六〇パーセントである五四三万四七五〇円となるはずであった。
二争点
本件の争点は、原告青柳及び原告野中がした解約告知による退職について早期退職制度が適用されるかどうか、に尽きるが、これに関する当事者双方の主張は、次のとおりである。
(原告ら)
本件早期退職制度は、次に述べるとおり、合意解約による退職だけでなく、解約告知による退職の場合にも適用されると解すべきである。
1 労働者が使用者に対して退職の申出をする場合、合意解約の申込みなのか単独行為としての解約告知なのかを明らかにすることはなく、そもそもそのような区別があること自体知らない方が普通であるし、使用者もこれをいちいち峻別せずに受け入れるのがほとんどであるから、被告会社の本件早期退職制度においても、これを区別していたものとは考えられない。
2 本件早期退職制度は、前記のとおり、①四八歳以上五八歳未満の社員であること、②この制度による退職を希望すること、③会社が認めること、以上の三つを適用の要件としているが、このうち②及び③は、無意味であるというべきである。
(一) まず、②の制度適用の希望であるが、本件早期退職制度は、労働者の側からすれば、定年まで勤務することのより得られる利益を放棄する代わりに、割増金を得られるという制度であるから、制度適用の希望を明示するとしないにかかわらず、退職の意思表示があった場合には常に希望があるものとして、この制度を適用するべきである。
(二) 次に、本件早期退職制度は、端的にいえば、年齢、給与が高いのに大した働きをしない労働者に退職してもらう制度であるが、被告会社は、右の目的を達成するために、一般的な制度として本件早期退職制度を採用したのであるから、被告会社に取って退職してほしくない労働者が応じてくることも当然に予想されるはずのことである。それにもかかわらず、被告会社にとって必要な労働者については、被告が承認しないことによって右制度の適用を受けさせないことができるというのは、会社の恣意に左右され、余りにも労働者の利益を無視したものである。したがって、③の会社の承認については、公序良俗に反するものとして無効とするか、あるいは、特別の理由のない限り承認すべきものと限定的に解釈するべきである。
この点については、早期退職制度が制定されてから原告らが退職するまでの一年半の間に少なくとも制度適用の対象となる九名の者が退職しているが、被告会社はこれらの者について制度の適用を拒絶したことはなく、退職の申入れをした場合には原則として承認する慣行になっていたのである。
(被告)
本件早期退職制度は、使用者と労働者が雇用契約を解約する合意が成立した場合にその適用が問題となるのであって、労働者が一方的に雇用契約の解約告知をしたときには適用されないものである。
1 本件早期退職制度は、年齢構成を改善し、企業の活性化を図ろうとしたものであるが、制度適用の対象となる年齢の者の中には、その目的に合致する者もいれば、被告にとってみれば、早期に退職されては業務の逐行に支障を来す、必要不可欠な人材もいるわけで、後者に対しては企業としてはその慰留に努めなければならない。そこで、早期退職制度を制定して合意解約の申込みを誘引し、労働者の側から申込みを受け、被告会社がこれを承諾することによって合意解約が成立した場合にのみ、割増退職金を支給することとして、必要不可欠な人材を確保しつつ、前記の目的を達成しようとしたものである。「この制度による退職を希望し、会社が認めた者に適用する」というのは、右の申込み及び承諾により合意解約が成立したときに適用があることを意味している。
2 このような合意解約を内容とする契約は、労働者に不利益を与えるものではなく、ましてや公序良俗に反するものではない。
労働者が早期退職制度の適用を希望して退職を申し出たのに対し、会社がこれを認めずに合意解約が不成立になった場合、会社としては必要な人物として継続勤務を要求しているのであるから、労働者としては合意解約の申込みを徹回すれば良く、これによってなんら不利益を被るものではない。また、この制度は、年齢構成を改善して企業の活性化を図ろうとするものであるから、会社が退職金の増額を惜しんで早期退職を認めないというような恣意的な運用がされることはあり得ず、合意解約を承諾するかどうかは、会社にとって必要な人材かどうかという観点から決められるのであるから、公序良俗に反するものではない。
なお、本件早期退職制度のような合意解約の規定の仕方は、他の会社にも多く見られ、本件制度に特有の規定でないことも、その合理性を裏付けるものといえる。
3 原告らは、退職の申入れをした場合、早期退職制度の適用を認める慣行があったと主張するが、この制度の適用を被告会社が否定し、そのために退職の申込みを撤回し、従来どおり被告会社に勤務している例が少なくとも二件ある。
第三争点に対する判断
一<書証番号略>、証人大土井寛治、同帰山昭雄の各証言、原告青柳、同野中各本人尋問の結果によると、本件早期退職制度の制定の趣旨及びその運用等につき、次の事実を認めることができる。
1 被告会社では、昭和五六年ころから雇用調整の必要性が生じ、同年五月及び昭和六一年五月に退職勧奨をしたが、退職しても特別な利益を得られることがなかったこともあってか、十分な成果は挙げられなかった。そこで、昭和六三年一一月、本件早期退職制度を制定して総務本部長名で社内に通達し、掲示板に掲示した。
この制度は、定年退職前に退職する者に対して通常の退職金のほかに割増金を支給するもので、支給対象者を被告会社の社員の約二〇パーセントを占めていた四八歳以上五八歳未満の者で、この制度の適用を希望したものとしていた。ただし、被告会社にとって必要不可欠な者の退職を誘発することになると業務の逐行上支障が生じるので、そのような者が退職を希望した場合、退職を思い止まらせようとする趣旨で、被告会社がこの制度による利益の享受を拒否できることとし、被告会社がこの制度の適用を認めることを割増金支給の要件とした。
2 早期退職制度発足後、原告らの退職までに、この制度の適用を受けて退職した者は九名いた。そのうち帰山昭雄は退職を申し出た際、支店長から慰留されたが、最終的には被告会社に退職を認められ、被告会社の指示で早期退職制度の適用を希望する旨を記載した退職願を提出し、割増金の支給を受けて退職した。その他の八名は、特段の慰留もされないまま、この制度の適用の希望が被告会社に認められて退職した。
他方、右の九名とは別に二名の者が、この制度の適用を受けて退職することを希望したが、被告会社が業務の必要性から退職を承認しなかったため、結局退職することなく勤務を継続している。また、退職の申し出に対する被告会社の慰留が成功せずに退職した者で、この制度の適用を希望しなかったため割増金が支払われていないものが一名いる。
3 原告青柳は、平成二年四月一八日、上司である玉木部長に退職願を提出し、早期退職制度の適用を希望したところ、右玉木及び被告会社の常務である大土井から慰留され、右大土井からは、原告青柳のやっている仕事は専門的であって辞められては困る、被告会社としては右制度の適用を認めることはできないとの趣旨の話があった。しかし、原告青柳は、他に就職を決めていたため、同月下旬、再度退職願を提出して同年五月三一日付けで被告会社を辞めるに至った。
原告野中は、同年四月一七日、上司である片桐部長に退職願を提出したところ、右片桐及び支店長であった門田は、原告野中が被告会社に必要な人材であると考えて原告野中を慰留した。しかし、原告野中は、転職先を決めていたため、特に本件早期退職制度の適用を希望する旨被告会社に伝えないまま当然これが適用されるものと考え、退職の意思を変更することなく同年五月三一日付けで被告会社を辞めるに至った。なお、原告野中に対しては、退職前に被告会社から早期退職制度の適用はない旨が伝えられていた。
4 早期退職を優遇する制度は、我が国の企業の中の相当数のものが採用しており、そのうちには被告会社と同様に会社の承認を優遇措置の適用の要件としているところも散見される。
二右認定事実によれば、本件早期退職制度は、被告会社と従業員との間で雇用契約を解約して退職する旨の合意が成立することを要件としており、この合意が成立せずにいずれか一方から雇用契約の解約告知をする場合には適用されないとの趣旨で制定されたものといわざるを得ない。
この点につき原告からは、合意解約か解約告知かは退職に当たって通常その区別を意識しないし、被告会社もこれを峻別していなかったのであるから、合意解約に限って適用されるとするべきではないと主張するが、右認定のとおり、被告会社では早期退職をしてほしくない従業員を選別して慰留する趣旨で、会社が制度の適用を認めることを要件として定めていたのであって、これを法律的に意味付ければ、合意解約に限ることを制度適用の要件としたと見ざるを得ないのである。
原告らはまた、右の会社の承認という要件は余りにも労働者の利益を無視しており、公序良俗に反するか、そうでないとしても、特別の理由のない限り承認の義務があると主張する。確かに承認を要件とすれば、会社が承認しない場合労働者は雇用関係を継続するか、解約告知により優遇措置の適用を受けずに退職するかの選択をするしかないことになろうが、それは個別の退職勧奨に応じて退職すれば割増退職金の支給を受けられる場合に、会社から退職の勧奨がないため割増金を得ることができないのと同様、単に会社と労働者の希望が合致しないために退職しても特別の利益を得ることができないだけで、雇用契約の継続の観点からは労働者になんらの不利益を強いるものではない。加えて、会社の承認を要件とした趣旨は前記のとおりであって、それ自体不合理な目的であるとはいえず、前認定のとおり一般に採用されているところでもある。これらの点に鑑みれば、会社の承認という要件は公序良俗に反するものではなく、また、一般的な制度として採用する以上、会社に承認の義務があるというものでもないというべきである(仮に原告らの主張が、少なくとも原告らに関しては、被告会社が承認しないのは恣意的であって、信義則上承認を拒むことはできないとの趣旨を含むものとしても、原告らが被告会社を辞めた経緯は前認定のとおりであり、原告らにつき制度の適用を認めないことが信義に反する事情は見当らない。)。
さらに原告らは、本件早期退職制度の下においては、従業員から退職の申し出があった場合には、被告会社はこれを承認する慣行があったと主張し、解約告知か合意解約の申込みかはともかく、退職の申し出をした原告らについても右制度が適用されるべきであるとする。しかしながら、被告会社における早期退職制度の運用の実態は前認定のとおりであって、被告主張の承認の慣行は到底認めることはできないから、右の主張は採用できない。
三以上によれば、被告会社との雇用契約を解約告知して退職した原告らについて、本件早期退職制度が適用されることはないといわざるを得ないから、原告らの請求は理由がない。
(裁判官相良朋紀)